
これまでニコロ・アマティ (Nicoló Amati) の作品を紹介すると共に、彼の弟子についてもふれてきました。ニコロ・アマティの弟子として確かな記録が残っているのは、ニコロ自身の息子、ジロラモ二世 (Girolamo II) を含めると17人います。アマティの弟子だったと一般に言われるアントニオ・ストラディヴァリですが、彼が本当にそうだったと決定づける資料は見つかっていません。 弟子入りと聞くと、長期間にわたり耐え忍びながら師匠の技を学ぶというイメージがありますが、ニコロに師事した弟子の大多数は、1年から2年ほどアマティ家に住み込みで働いた後に去っていきました。 唯一の例外は、跡継ぎのジロラモ二世を除くと、初期のアマティ工房を支えたアンドレア・グァルネリ (Andrea Guarneri) とジャコモ・ジェナーロ (Giacomo Gennaro) の二人です。 隠れた名匠ジャコモ・ジェナーロ アンドレア・グァルネリは、デル・ジェスを生み出したグァルネリ一族の創始者としてその名を残すだけではなく、彼自身もかなりの成功を収めた人物です。名前だけでも聞いたことがあるという方が多いのではないでしょうか。対して、ジャコモ・ジェナーロはというと、そんな名前は聞いたこともないという方がほとんどでしょう。 1624年頃に生まれ、1701年に亡くなったジェナーロは、遅くとも1641年から少なくとも1646年、またはその翌年まで、グァルネリと共にアマティ工房で働いていました。結婚を機にアマティ家を去ったその後も、近所に住みながらニコロの手伝いを続けたと思われています。 当時は重要な役割であった時計台の見張り役も務め、経済的にかなり余裕があったジャコモですが、独立した工房や店を営んでいたという痕跡はみられません。おそらく、作りかけ、もしくはほぼ完成した楽器をニコロに提供するという形で仕事をしていたのでしょう。 ジェナーロの作品はアマティのものと非常に似ているため、本来貼られていた彼自身のラベルが後世の人々によってニコロのものに差し替えられてしまい、より高価なアマティの作品として売られてしまった可能性もあります。 ここでご紹介しているのは、このジャコモ・ジェナーロが1650年頃に製作したヴィオラです。 この楽器には、もちろん師匠であるニコロからの影響が強く現われていますが、アントニオとジロラモのアマティブラザーズからの影響も顕著です。また、同僚であったアンドレア・グァルネリとの共通点も、特徴ある渦巻きなどに見出すことができます。 現存するアンドレア・グァルネリのヴィオラには、ジェナーロが作ったスクロールが付いているのではないかという作品もあります。 ずんぐりとしたボディですが、その輪郭は常に流れを意識したデザインなので、不細工には見えません。むしろ、ふくよかなラインが魅力的と言ったほうが適切でしょう。どことなくタツノオトシゴを思わせるf孔も、このヴィオラに親しみやすさを与えています。 これほどまでに優れた作品を生み出すことができた製作者の認知度が、あまりにも低すぎるのは残念だとしか言いようがありません。 魂のセンサス ニコロの弟子を判明させるのに重要な役割を果たすのは、「魂のセンサス」こと、イタリア語で「スタート・デレ・アニーメ (Stato del le […]