木村哲也
バイオリン製作家

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【名器のお話し】 マッテオ・ゴフリラー 『ジャカール・ベルゴンツィ』

これまではクレモナの巨匠を中心に名器を紹介してきましたが、今回はヴェネチアに舞台を移しましょう。特にヴェネチアで作られたチェロは、ライバルであるクレモナで作られたものに勝るとも劣らない質を誇ることで有名ですよね。

ヴェネチアでの楽器作り

一大都市国家として強大な力を持っていたヴェネチアには古くから弦楽器製作の伝統がありました。特に16世紀中頃から17世紀初期にかけては、極めて高品質のリュートやヴィオラ・ダ・ガンバが次々に生み出されていました。しかし、17世紀も中頃を過ぎると需要が減ったのか、リュート、ガンバ作りは共に急速に廃れてしまいます。そして、17世紀後半にこれらの楽器に取って変わったのがヴァイオリン属の楽器です。

現在ではヴェネチアの名工として知られるほとんどのヴァイオリン製作者は、実際にはヴェネチアの生まれではなく、移住民でした。ドメニコ・モンタニャーナ (Domenico Montagnana) はレンディナーラ、サント・セラフィン (Santo Serafin) はウーディネ、ピエトロ・グァルネリ (Pietro Guarneri) はクレモナにそれぞれ生まれています。

そして、今回お話しするマッテオ・ゴフリラ (Matteo Goffriller) は、当時ドイツ語圏であった南チロルの街、ブリクセン (伊:ブレッサノーネ) の出身です。

ゴフリラの生い立ち

マッテオ・ゴフリラは、1659年2月、大家族の末っ子として生まれています。マッテオの姉であるカテリーナは一足先に故郷を離れヴェネチアに移り住んでおり、1658年頃から1672年まで、弦楽器職人マッテオ・カイザーの家に女中として仕えていました。まだ幼い頃から、姉を通してカイザーの仕事ぶりなどを聞かされていたことが、ゴフリラをヴァイオリン作りの道へと進めることになったのでしょうか。カイザー一族も北チロル、フュッセンの出身であったため、同郷の民として親近感も強かったのかもしれません。

ゴフリラがヴェネチアに移るまで彼がどこで何をしていたのかは、よく分かっていません。おそらく生まれ故郷であるブリクセンから50kmほど離れたボツェン (伊:ボルツァーノ) で活動していた製作者、マティアス・アルバーニ (Mathias Albani) のもとで、ヴァイオリン作りとしての技術を身につけていたのではないかと考えられます。

ゴフリラは1685年、26歳の時にヴェネチアに移住しています。既に職人としてかなりの経験を積んでいた彼は、マッテオ・カイザーの甥で、主にリュート作りを営んでいたマーティン・カイザー (Martin Kaiser) のもとに辿り着きます。ただし、単純な師匠と弟子といった関係ではなく、どちらかといえば対等な立場にある同僚としてカイザーの工房に迎えられたれたようです。

このころのヴァネチアは一時期の経済力を失いつつはありましたが、それでも当時最も重要な音楽シーンを形成しており、若き製作者であったマッテオにとっては大変刺激的な場所でした。チロルからも数多くの職人が既に移住しており、暮らしやすい環境だったことも容易に想像できます。

ヴェネチアで働き始めてからのゴフリラの人生はまさに順風満帆だったようで、一年後にはマーティン・カイザーの娘を妻として迎え、ヴェネチアに移住してから僅か五年後の1690年には既に独立しています。やり手だったんですね、いろいろな意味で。

ゴフリラの工房では、息子のフランチェスコ (Francesco Goffriller) と、妻の父であるマーティン・カイザーを含め数多くの職人が働いていました。助手が多かったのが、ゴフリラの作品に見られる豊かなバラエティに繋がったのだともいえます。

ゴフリラの弟子として頻繁に名前の出されるドメニコ・モンタニャーナですが、この二人が師弟関係にあったとする確たる証拠は見つかっていません。ストラディヴァリがニコロ・アマティの弟子だったとする記録が一切存在していないのと似た状況です。このことについては、モンタニャーナを取り上げる際に詳しくお話ししましょう。

ベルゴンツィと呼ばれるゴフリラ

さて、今回ご紹介しているのは、『ジャカール・ベルゴンツィ』(Jacquard Bergonzi)と呼ばれる、1710年頃に作られたチェロです。

名前になっているジャカールは、19世紀に活躍したフランスのチェリスト、レオン・ジャン・ジャカール(Leon Jean Jacquard)のことです。彼が愛用していたので名前の一部になっているのですが、では、なぜ「ベルゴンツィ」なのでしょうか。

これは、このチェロが20世紀始め頃までゴフリラではなく、カルロ・ベルゴンツィ (Carlo Bergonzi) によって作られたものだと思われていたからです。今となっては信じ難いことですが、過去にはマッテオ・ゴフリラがそれほど評価されていなかったこともあり、ゴフリラの名前が入ったラベルは他の製作者のものにすり替えてしまうということが当たり前のように行われていました。

『ジャカール・ベルゴンツィ』と同様にベルゴンツィの作品だと過去に誤解されていたゴフリラのチェロは数多く、特に有名なのはパブロ・カザルスが愛用していたゴフリラです。『ジャカール・ベルゴンツィ』も全くカザルスと縁が無かったわけではなく、カザルスのお気に入りであり、シュナイダー・カルテットの一員だったマデリーン・フォーリーに近年は所有されていました。

ベルゴンツィ作の『パーキン、バーンフォード』をご紹介した際にも述べましたが、現存している本物のカルロ・ベルゴンツィのチェロは2台しかありません。

『ジャカール・ベルゴンツィ』の輪郭、特に表板を見てもらうと分かると思いますが、この楽器、かなり左右不対称になっていますよね。このアシンメトリーは、ゴフリラがクレモナで使われていたような木型を使わずに製作していたことに由来しています。木型を使用しないことで、作られる楽器の精密さと一貫性はある程度犠牲になりますが、その分自由が利きます。次々に新しいアイデアを試すには持って来いの製作法です。溢れ出てくるインスピレーションに身も心も任せて作っていた、そんなゴフリラの姿がこのチェロからも思い浮かびます。

ゴフリラが使用した木材にはばらつきがあり、その質にピンからキリまであります。幅が足りない材料をいくつも継ぎ足して使ってみたり、目立つ節があるものを平気で使ってみたりと、かなり無頓着な性格だったのではと思わせます。『ジャカール・ベルゴンツィ』も例外ではなく、表板にはローアーバウツの低音側に大きめの節が、裏板にも数カ所節があります。しかし、その裏板と測板に使われているメープルの派手な杢と、楽器全体を覆うこれまた鮮やかで豪華なニスによって、そのような不完全さはマスクされてしまっています。

ヴェネチアの楽器と聞くと、この『ジャカール・ベルゴンツィ』に見られるダークレッドのニスを連想する方が多いのではないでしょうか。しかし、このヴェネチア派のトレードマークともいえるニスが、実はチロルから伝えられた可能性があるということはご存知でしょうか。

チロル地方の製作者、特にマティアス・アルバーニによって使われていたニスは、ヴェネチアのニスと実によく似た色と質感を持っており、ひびの割れ方などの性質も非常に似通っています。そこで、このニスをゴフリラが故郷のチロルからヴェネチアに持ち込んだのではないかという説が唱えられるようになりました。前述したようにゴフリラの師匠がアルバーニだったとすると筋が通る有力な説です。

衰退

1700年から1720年の間にゴフリラによって作られた楽器は数多く、まさに彼の工房は全盛期を迎えていたと言ってもよいでしょう。ゴフリラは高品質の楽器を提供するだけではなく、相当なビジネス知識も持ちあわせており、どうやら所得を少なく見せるなどして税金を減らす術に長けていたようです。娘達のために用意した支度金の額から想像するに、ゴフリラはかなりの富を築きあげていたようです。

しかし、1720年代に入るとゴフリラの工房から生み出される楽器の数は急激に減っていきます。なぜでしょうか。

ゴフリラが独立した当初と比べ、このころのヴェネチアのヴァイオリン作りを取り囲む状況は様変わりしており、今では街に才能溢れる製作者がひしめきあっていました。

外国の顧客を持っていたアマティやストラディヴァリとは異なり、ヴェネチアの製作者は地元のマーケットに頼っていたため、すぐに需要が供給に追いつかなくなりました。長い間市場をほぼ独占していたゴフリラもこれにより経済的な打撃を大きく受けています。

このような状況が訪れることを既に察していたのか、マッテオの息子、フランチェスコは1714年にいち早くヴェネチアからウーディネに活動の場を移しています。

1735年頃、健康を害したゴフリラは製作活動から事実上引退します。1735年以降の製作年がラベルに記された楽器も残ってはいるのですが、数は少なく、マッテオが病気になる以前に作った楽器に引退後ラベルを貼り、売りに出したものだという可能性もあります。

1742年2月、83歳という高齢でゴフリラは息を引き取ります。ゴフリラ以前にヴェネチアでは既にヴァイオリンが作られていましたが、そのレベルを一気に引き上げたのは正しく彼です。そんなマッテオ・ゴフリラには、「ヴェネチア派の父」の名が実に相応しいのではないでしょうか。

ゴフリラをモデルにしたチェロ

2021 Matteo Goffriller Cello ca.1701

マッテオ・ゴフリラー 1701 …

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