【名器のお話し】ニコロ・アマティ1649年『アラード』   更新しました!


1630年代始めにイタリア北部を中心に猛威を振るったペストの流行によって、35歳という若さで、ニコロ・アマティ(Nicolò Amati)が実質上イタリア唯一のヴァイオリン製作者となってしまったことは、このコラムでお話ししました。

ストラディヴァリ、グァルネリと並んでヴァイオリン製作の三大巨匠に数えられるニコロ・アマティの名器を今回はご紹介します。


ニコロが、ジロラモ・アマティ (Girolamo Amati)とジロラモの後妻であるラウラ・ラッザリーニ(Laura Lazzarini)との間に生まれたのは、1596年12月3日のことです。

父親のもとで幼い時から修行を積んできたニコロですが、1620年代に入るとめきめき頭角を現し、1620年代後半には老いゆく父ジロラモに代わりアマティ工房を統括するようになります。このころにアマティの工房で作られた楽器には「アマティ兄弟」のラベルが貼られていますが、実際にはニコロが作ったものです。


有名な「グランド・アマティ」とよばれるモデルが初めて登場するのもこのころ、1628年のことです。その後まさに「標準仕様」となるモデルをまだ 30 歳になりたてのころに開発するとは、時代を先取りしたアイディアとそれを体現できる才能の持ち主だったのでしょう。

およそ100年ほども続いてきた家業を、ニコロへ円滑に継承させる準備をしていたジロラモ・アマティ。立派に育った息子が独自のスタイルを築きあげていくのを誇りに思い、新しい時代の到来を待ちわびていたのではないでしょうか。


奇しくも、飢餓とペストをイタリア北部にもたらし、結果、ジロラモの命を奪うことになる紛争が、勃発したのもこの1628年。残念ながら新世代の幕開けは、汚されたものとなってしまったのです。

立て続きに起こった惨事に打ちのめされたイタリア北部。経済の悪化と共にヴァイオリンの需要は、激減してしまいました。また、居場所をなくしてしまった親戚の世話役を務める義務を負うなど、ニコロは、一族の長として数々の責任を果たしながら、災害の後始末に追われていたようです。

ヴァイオリンを作っているどころではなかったのかもしれません。1630年代にニコロ・アマティによって作られた楽器の数は極少数です。

ニコロ・アマティ1649年『アラード』

ペスト以前、アマティの工房は基本的に一族の者のみによって運営されていました。そのため、代々伝わってきた技と知識を一族内に留めることが出来たのです。しかし、妻子がおらず、仕事を手伝ってくれる者もいなかったニコロは、ある決断をします。

一族以外の者を弟子として受け入れることです。

それまで独占していた技術を外部に漏らす危険を冒すことになるわけですが、工房にいち早く以前の活気と成功を取り戻すためには、必要な改革でした。

ただし、クレモナ外からの弟子を採用することによって、将来の競争相手をなるべく減らそうとしました。よそ者のほうが、地元出身の人間よりも、独立後にそのままクレモナに居つく可能性が少ないとふんだのでしょう。


1640年代に入り工房が再び軌道に乗り出した頃に、ニコロは不動産に投資するなどして、ヴァイオリン作り以外のビジネスにも手を出すようになります。

思わぬ災害が再び起こり、また楽器が売れなくなった時のための保険だと考えていたのかもしれません。しかし、これらの副業が後に保険どころか、足かせとなってしまいます。なんとも皮肉なことですよね。


それまで妻子を持たずに一族を立て直すために奔走してきたニコロが、ようやく結婚したのは1645年、49歳の時でした。お相手は良家の出であるルクレッジア・パグリアリ(Lucrezia Pagliari)。当時としてはかなりの晩婚です。正直、ほっとしたのではないでしょうか。

挙式が挙げられたのは5月23日でしたが、その直前にニコロは小さな家を一軒、姪にあたるアンジェラ(Angela)に譲っています。彼女の母親、エリザベッタ(Elizabetta)はニコロの姉であり、ペストによって夫を亡くして以来、アンジェラと共にニコロの家を拠り所として暮らしていました。

当時のアマティ家は、召使い2人を含めた計10人が住む大所帯でした。アンジェラに母と共に住める住居を与えたのは、新妻のために家の中のスペースを確保しながらも、姉と姪に迷惑がかからないようにとの配慮でしょう。心憎い気配りです。

ニコロ・アマティ1649年『アラード』

挙式の際、証人として立ち会ったのは他でもないアンドレア・グァルネリ (Andrea Guarneri)、三世代にわたって続き、グァルネリ・デル・ジェスを生み出したヴァイオリン作りの名家、グァルネリ家の創始者です。

アンドレア・グァルネリがニコロに弟子入りしたのがいつかは、はっきりしていませんが、1641年に製作された戸籍簿には、既にアンドレアの名前がもう一人の弟子、ジャコーモ・ジェナロ (Giacomo Gennaro)と共にアマティ家の一員として登録されています。

ニコロはこの二人を家族同然に扱っており、特にアンドレアとは実に密接な関係を築きあげています。ルクレッジアと結ばれる以前のニコロは、彼をアマティ家の跡継ぎにするつもりで育てていたのかもしれません。


それなりに裕福な家庭に生まれたと思われるアンドレアが、なぜアマティ家に弟子入りすることになったのかは不明です。ペストがグァルネリ家も襲い、それにより、まだ幼いアンドレアが居場所をなくしていたところをニコロに救われたのでしょうか。

アンドレアの叔父が、祭司であると同時にクレモナの貴族にコネがあったのも、ニコロに弟子入りするにおいて有利に働いたのかもしれません。ニコロが結婚し子供が生まれると、自分の居場所がなくなったと感じたのか、アンドレアはアマティ家を一時期去っています。

余談ですが、よくニコロの弟子だったとされるフランチェスコ・ルジェリ (Francesco Ruggeri)と、アントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)の二人をアマティ家と結びつける決定的な記録は、実のところ残っていません。この二人がはたして本当にニコロの弟子だったのかということについては、またの機会に話しましょう。

ため息が出る美しさ

ニコロとルクレッジアの間には、長男ジロラモ・フランチェスコ(Girolamo Francesco)が1646年に、テレサ・フランチェスカ(Teresa Francesca)が1647年に、それぞれ生まれています。しかし、二人ともわずか2歳のときに他界しています。乳幼児の生存率が低かったとはいえ、度重なる悲劇はニコロにかなりの精神的な打撃を与えたのではないでしょうか。

不幸が続くなか、後にニコロからアマティ家を受け継ぐことになるジロラモ(Girolamo)が生まれるのは、1649年。この年に作られたのが今回ご紹介する名器、『アラード』(Alard)です。この時53歳だったニコロが息子の誕生を祝い、喜び勇んで格別な作品を記念として世に残すことにした。そんな筋書きが頭に浮かんでしまうほどの、素晴らしいヴァイオリンです。


ストラディヴァリ『メサイア』を取り上げた際に、その名付け親が 19 世紀フランスの演奏家ジャン=デルファン・アラード(Jean Delphin Alard)だということをお話ししました。覚えていますか?

アラードは1815年に生まれ、1888年に亡くなったヴァイオリニストですが、彼の名が冠された楽器は5棹ほど存在し、このニコロ・アマティ『アラード』もそのなかの一つです。アラードは、パリの有名な製作者であり、ディーラーでもあったジャン=バティスト・ヴィヨーム(Jean Baptiste Vuillaume)の娘と結婚しており、そのため名器に接する機会にも恵まれていました。羨ましいですね。


『アラード』は、「エレガンス」という言葉をそのまま形にしたようなヴァイオリンです。高貴な雰囲気を伴った、実に優雅なその姿はまるで宝石のよう。すらっと長く伸びるコーナーに始め、深く掘り込まれたアーチ、派手派手しい材料、と「やり過ぎ」の一歩手前ともいえる要素が盛り込まれています。それがなぜか不自然に映らず、逆に超自然的ともいえる美しさを放つのは、ニコロが持っていた類まれなるセンスのおかげでしょう。

今にも社交ダンスを踊りだしそうな f孔が目を引く表板、丹精に彫られた渦巻き、どの部分をとっても素晴らしい出来ですが、特に美しいのは裏板ではないでしょうか。美しい女性が背中から水面を割って出てくるかのような印象を受けます。

そして、全てを優しく包み込みしっとりと輝くニスの美しさは特筆ものです。ストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスが後に使用した赤いニスのような派手さはありませんが、それがかえって、楽器の上品さを際立てています。何度見ても鳥肌が立ち、そして溜息がでる。そんな楽器が『アラード』です。


『アラード』とジロラモ 2世がこの世に誕生した 1649年を境に、アマティの工房はさらなる飛躍を遂げていきます。それまで数年間、姿を消していたアンドレア・グァルネリも、翌年の春にはアマティ家に住み込みの弟子として戻ってきます。

仕事が忙しくなったために、ニコロが呼び戻したのでしょうか。いや、それとも自慢の息子を可愛がるうちに、実の息子同然に育ててきた愛弟子ともう一度生活を共にし、傑作を作りたいとでも思ったのかもしれません。

この時、職人としての頂点を迎えていたニコロ・アマティ、54歳。度重なる苦労を乗り越えてきた彼は、幸せを噛みしめつつ、満面の笑みを浮べながら、のみを振るっていたことでしょう。


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