【名器のお話し】アンドレア・アマティ1566年『タリーハウス』   更新しました!


「ヴァイオリンの父」とよばれるアンドレア・アマティ(Andrea Amati)。四世代にわたり続いたヴァイオリン作りの一族、アマティ家の初代です。

ヴァイオリンを発明したのは?

アンドレア・アマティが「ヴァイオリンの父」と呼ばれてはいますが、この呼び名は誤解を招く言い方です。既に存在していた楽器をもとに複数の職人が試行錯誤を重ねていった結果、ヴァイオリンは今私たちが知るような形になりました。なので、アンドレア・アマティがヴァイオリンを「発明」したわけではありません。

しかも、彼以前にヴァイオリンらしき楽器を作っていた職人もいます。しかし、確かな記録が残されており、なおかつ作品が現存するヴァイオリン製作者としてはアンドレア・アマティが史上初の人物となります。

頻繁にアンドレアと同列に論じられる製作者にブレシアのガスパロ・ダ・サロ(Gasparo Bertollotti da Salò)がいます。 過去にはガスパロこそが「ヴァイオリンの父」、そしてさらには、アンドレア・アマティの師匠だと思われていたことがありました。

しかし、実際にガスパロが生まれたのは1540年のことで、この前年にはアンドレア・アマティは、既に「マエストロ」としてクレモナに物件を借りています。アンドレアはこの時点で一職人としてそれなりの位置を確立していたのでしょう。

お店、別棟、それに中庭がついたこの立派な建物が、その後200年以上にわたりアマティ一族の住処、そしてヴァイオリン作りの拠点となります。

アンドレアアマティ1566年製タリーハウス正面
アンドレア・アマティ1566年『タリーハウス』

ガスパロ・ダ・サロがなぜ、ヴァイオリンの始祖だと思われていたのかは、彼とアンドレア・アマティの作品を比べてみると理解できます。幾何学に基づいているとはいえ、単純な円を基本にデザインされているのが、ガスパロの楽器。極めて原始的で実用性第一だという印象があります。

それに比べて、アンドレアの作品には何度見ても見飽きない複雑さがあり、一つの楽器を構成する全ての「線」がなんらかの意図を持って形成されています。このような洗練されたヴァイオリンが、ガスパロのいともシンプルなヴァイオリンよりも先に作られたとは考えにくかったのでしょう。

しかも、やっかいなことに、ガスパロを代表とするブレシアの製作者たちはクレモナの製作者とは異なり、作った楽器のラベルに製作年を記録しませんでした。これでは、ガスパロがアンドレアに先駆けてヴァイオリンを作ったと思われたのも仕方がないのかもしれません。

幸い、今ではガスパロの生年月日の他、彼がブレシアに移住し楽器を作り始めたのが1562年だということが分かっています。

アンドレアアマティ1566年製タリーハウス後ろ全体像
アンドレア・アマティ1566年『タリーハウス』

バレエの生みの親はヴァイオリニスト

ほぼ同時期にアンドレア・アマティはフランス国王、シャルル9世(Charles IX de France)の宮廷に納めるための楽器を作るという重要な使命を帯びています。

何故、フランスの宮廷から遠く離れたイタリアのクレモナからこれらの楽器を注文することになったのでしょう?おそらく、その答えはシャルル9世の母親であるカトリーヌ・デ・メディシス(Catherine de Médicis)にあります。

イタリア、フィレンツェ出身のカトリーヌは、夫であるフランス王アンリ2世の死後、まだ幼いシャルル9世の代わりに摂政として政治を行います。そんなカトリーヌは根っからの社交ダンス好き。「舞踏会や晩餐会を週に二度は催すこと」という、家臣のため息が聞こえてきそうな、どう考えてもわがままな命令を出しています。

ダンス好き(•ө•)♡、カトリーヌ

カトリーヌとシャルル9世にダンスを教えていたのは、彼女と同じくイタリア出身のポンペオ・ディオボノ (Pompeo Diobono)と、彼の弟子であるバルダッサーレ・ディ・ベルジオジョーゾ (Baldassare di Belgiojoso)でした。

フランス宮廷の御抱えになる以前の彼らは、クレモナと深い関係にあったミラノを拠点として活動しており、そこでアンドレア・アマティの評判を耳にしていたことはほぼ間違いありません。

特にバルダッサーレはかなり名のしれたヴァイオリニストでもあり、カタリーナのお気に入りだった彼が、アンドレア・アマティの楽器を彼女に勧めたとしても不思議ではないですよね。

ちなみに、このバルダッサーレは、1581年に上演された史上初のバレエとよばれる「王妃のバレエ・コミーク」(Le Ballet comique de la Reine)の生みの親です。フランス名であるバルタザール・デ・ボージョワイユー (Balthasar de Beaujoyeulx) としてご存知の方が多いかもしれません。

宮廷に納められた楽器は、普通の大きさのヴァイオリン、少し小さめのヴァイオリンが12棹ずつ、ヴィオラ6棹、チェロ8台からなる計38個だったようですが、フランス革命の際にその大多数が破壊されてしまい、現在は8個しか残っていません。

ここでご紹介する『タリー・ハウス』(Tullie House)は、そのなかの一つ、現在標準とされているサイズよりも1cmほど小さい、本体の長さが342mmのヴァイオリンです。


装飾がほどこされたアマティ

シャルル9世のためにアンドレアによって作られた楽器全てには、絵具(テンペラ)と金箔によるデコレーションが施されています。この装飾はアマティの工房ではなく、ほぼ間違いなく外部の仕事だと思われますが、どこのだれの手によるものかは定かではありません。

アンドレアアマティ1566年製タリーハウス裏板に描かれた装飾
裏板に描かれた装飾

残念ながら、チェロ以外の楽器、ヴァイオリンとヴィオラの装飾の保存状態は良いとはいえず、『タリー・ハウス』の装飾もその大部分が失われていますが、うっすらと浮かぶフランス宮廷の紋章、そして「信心深さ」と「正義」をそれぞれ象徴する二つの像が確認できます。

この「信心深さ」と「正義」はシャルル9世自身のモットーであり、楽器の側板にも金箔によって飾られたラテン語で「Pietate et Justitia」と記されています。

アンドレアアマティ1566年製タリーハウス装飾がほどこされた側面
Pietate et Justitia

この装飾は、絵具が木材に染み込むを防ぐため、ごく軽く下地処理をした木地の上に施されていますが、塗金されている箇所には、赤みがかったジェッソがさらに下塗されているようです。

ニスが塗られているのはこれらの装飾の上なのですが、一体誰がこのニスを塗ったのでしょうか?装飾がアマティの工房外の仕事だったとすると、仕上げのニスも同じ場所で塗られた可能性があります。

ニスそのものは装飾と同様で楽器にはあまり残っていません。現在のニスの色はごく自然な飴色です。ここで「現在の」と前書きをしているのは、ニスは剥がれてしまうだけではなく、その色も年月と共に変化していくからです。

時間の経過と共に、ニスに混ぜられた顔料や染料として使われた赤色が後退していくうえ、ニスそのものも黄ばんでいったり、松脂やその他の汚れが付着することによって、塗られた当初よりも落ち着いた色になっていくのが常です。

特に、金箔を使った絵画や装飾には、温かみを加えるために少し赤みがかったニスを仕上げとして上塗りをすることが多かったので、『タリー・ハウス』のニスも色が褪せてしまっただけで、塗られた当初はもう少し赤かった可能性があります。

もちろん、このヴァイオリンの見所は装飾だけではありません。むしろ、装飾はあくまでもおまけに過ぎないといったほうが良いのかもしれません。それほど『タリー・ハウス』には様々な魅力が凝縮されています。

ゼンマイに見える…見えるでしょ?

洗練された美しさ

今から400年以上も前の作品とは思えないほどの完成度の高さは、洗練された輪郭と、パーフリングからもうかがえますが、なんといっても衝撃的なのはその渦巻きでしょう。残念ながら虫食いからの損害をうけており、大掛かりな修復がされていますが、その美しさは損なわれていません。

『タリー・ハウス』の渦巻きを初めて見たときに、私は山菜のゼンマイを思い出しました。あまり色気のない例えですが。実に有機的なその姿が、今にもこう、首を後ろにもたげながら開いていく様を瞬時に思い描かせる素晴らしい出来栄えです。

f孔を見てもらうと、ウィング(羽)とよばれる部分が、極めて小さく華奢なのが分かると思います。アンドレア・アマティの時点では極めて未発達だったこのウィング、クレモナの製作者のf孔を時代に沿って追っていくと、次第にこの箇所が大きく、目立つようになっていきます。

極端な例が、グァルネリ・デル・ジェスの後期の作品です。デル・ジェス作の『ヴュータン』と比較してみてください。他にも、大きめの「目」やノッチなども相まって、後期のクレモナの作品には見られない独特の、温かみが溢れる魅力のあるf孔に仕上がっています。

アーチは、ガスパロのものほどではありませんが、丸みをおびてふっくらとしています。正面からみた時に「8の字」を思い起こさせるといえば、想像しやすいでしょうか。

「アマティのアーチ」というと、アンドレアの孫であるニコロ・アマティが得意とした、波打つような掘りの深い隆起を思い浮かべてしまいがちですが、アンドレアのアーチには、そのようなあからさまなドラマはありません。


ヴァイオリンの父と言われる所以

よく、ヴァイオリンを完成させたのはストラディヴァリだという話がなされます。

しかし……、本当にそうでしょうか?

確かに、優雅さと力強さを極限で両立させたのはストラディヴァリかもしれません。このうえなく豪快でエキサイティングなヴァイオリンを生み出したのはグァルネリ・デル・ジェスです。「雅」という一文字が一番よく似合うのはニコロ・アマティの楽器かもしれません。

しかし、アンドレア・アマティの楽器には他のだれにも勝る、まさにオリジナルだけが持つ「純粋な美しさ」があります。そんな楽器を、あなたは未完成だといえますか?


アンドレア・アマティは1577年にその生涯を閉じます。冒頭に述べたように、必ずしもアンドレア個人がヴァイオリンを発明したわけではありません。しかし、もしも彼が存在していなかったら、ストラディヴァリも、グァルネリも存在していなかったことでしょう。

それどころか、今、私たちが見聞きしているヴァイオリンの姿もかなり異なったものになっていたはずです。考えるだけでゾッとしませんか?アンドレア・アマティは歴史上、最も重要な、まさに「ヴァイオリンの父」の肩書きが相応しい製作者だったといえます。

もちろん、アンドレアが生まれてから500年以上経った今日も、製作者、演奏家に限らず音楽をこよなく愛する全ての人が彼の恩恵に授かっています。私たちは皆、「アンドレア・アマティの子」なのではないでしょうか。


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