ブレシア


ガスパロ・ダ・サロ モデル ビオラ 速報! 11月に行われる展示会で、このビオラを演奏してみませんか?ビオラ奏者にとって憧れのガスパロ・ダ・サロをモデルにしたビオラです。どんな音色か気になりますよね。この機会にぜひお試しください。 ボディの側板と裏板にはメープルではなく、ポプラを使用しています。 ポプラをボディの材料として使うことで、より深く暖かい音色になり、レスポンスも良好な楽器ができます。また、長時間演奏しても疲れないように軽量化を図るためにも、より一般的なメープルよりも比重が軽いポプラは非常に有効です。C線からA線までバランスよく、繊細な音から身体に伝わる豪快に鳴り響く音まで、演奏者の期待に応えてくれる音色のビオラになりました。 販売中です。価格は、1,200,000円になります。 試奏をご希望の方はお早めにお問い合わせください。 「ガスパロ・ダ・サロモデルのビオラは弾いてみたいけれども420mmはちょっと...」という方には、このモデルをご希望のサイズでお作りいたしますよ。もちろん、メープルを使ったモデルもご用意できます。 ボディ:420mm アッパーバウツ:204mm Cバウツ:135mm ローワーバウツ:242mm 弦長:374mm ストップ:220mm Journalに戻る

2019 Gasparo da Salo Viola 420mm


まずは歴史的背景を… アンドレア・アマティ(Andrea Amati)が歴史上にその姿を初めて現す16世紀前半から、アントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)が黄金期を迎えた18世紀初頭にかけて、クレモナはスペインの支配下にありました。 対して、クレモナの良きライバルとしてヴァイオリン作りが栄えたブレシアは同じ頃ヴェネチア共和国に属していました。ブレシアはクレモナから北へおよそ50kmほど離れた場所にあり、クレモナとは隣同士といってもよい位置関係にありますが、ブレシアはクレモナにとって外国だったんですね。 さて、このブレシアからさらに北東へおよそ30km進むと、サロと呼ばれる街に到着します。ガルダ湖の湖畔にあるこの小さな街からは、一人の非常に重要なヴァイオリン製作者が生まれています。ガスパロ・ベルトロッティ(Gasparo Bertolotti)、通称ガスパロ・ダ・サロ(Gasparo da Salò)です。 音楽家ガスパロ・ベルトロッティ ガスパロは1540年5月20日に音楽家の一家に生まれています。父であるフランチェスコ(Francesco Bertolotti)は弦楽器奏者として活動するだけではなく、オルガンの技術者として教会のオルガンの調律を任せられていました。 叔父にあたるアゴスティーノ(Agostino Bertolotti)も弦楽器を演奏するだけではなく、大聖堂でオルガンを弾き、聖歌隊の指揮者も務めており、さらにガスパロの従兄弟にあたる人物も演奏家として後に名を上げています。 このような環境の中で育ったガスパロ自身も演奏者としての技術を早くから身につけていたことでしょう。実際に彼が後ほど演奏家としてヴィオローネをベルガモの大聖堂で弾いたという記録が残っています。 そんなガスパロがブレシアに移り住んだのは1561年から1563年の間だと思われます。父フランチェスコは1561年に亡くなっています。父親の死が切っ掛けとなったのでしょうか。 移住先にブレシアを選んだのは、もちろん比較的サロに近いからということもあったのでしょうが、ブレシアには当時非常に活発な音楽シーンがあったからでしょう。 ブレシアでは15世紀中頃から楽器作りが栄えており、非常に優れたヴィオールやシターンと呼ばれる楽器などが作られていました。オルガンの製作も15世紀後半から盛んに行われており、クレモナの大聖堂のオルガンもブレシアの製作者によって作られています。 父親がオルガンの技術者であったことから、ガスパロにはブレシアの楽器職人とのコネが引越しをする前から既にあったのでしょう。職人としての知識と技術も若いころから父親から習得していたと思われます。ブレシアに移ったガスパロはすぐに自分の工房を開き、結婚をしています。 工房を構えたものの… 一般的にガスパロの師匠はブレシアのシターン製作者、ジロラモ・ヴィルク(Girolamo Virch)だとされていますが、師弟関係を裏付ける記録は見つかっていません。ただ、この二人が親しい仲にあったことは確かで、1565年、ガスパロに息子フランチェスコが生まれた際にヴィルクは洗礼式に代父(ゴッドファーザー)として立ち会っています。 1568年に残された記録によるとガスパロが工房を構えてから数年間、ビジネスはあまりぱっとしなかったようです。たいした稼ぎもなく、妻と二人の息子、そして自分の妹を含めた5人家族で借家暮らしをしていました。 しかし、1588年に書かれた納税申告書には、ガスパロは借りていた工房とは別にお店付きの大きな家と、さらに農場も所有し、2人の召使いを抱えていたことが記されています。また、近郊の顧客にだけではなく、フランスでも楽器を売っていたこともこの申告書から分かります。20年の間にずいぶんと成功を収めたようですね。 その他にも弦はローマから、木材はヴェネチアから取り寄せていたことが記されています。ただし、ガスパロが主に使用した木材は地元で採れたもので、貿易港であるヴェネチアから取り寄せなければいけなかったのは、パフリング用の黒檀、そしてたまに使った質の高いスプルースぐらいでした。 跡を継ぐもの 息子であるフランチェスコの他、少なくとも4人の弟子がガスパロにはいたことが分かっています。アレッサンドロ・ディ・マルシリア(Alessandro di Marsiglia) 、ジョヴァンニ・パオロ・マジーニ(Giovanni […]

【名器のお話し】ガスパロ・ダ・サロ テノールビオラ 16世紀